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これは私が若かりし遠い昔のことである。

次男坊である私は、一人娘である妻の家へ婿入りした。
妻の父は2年前に亡くなり、義母は経済的生活安定のために喜んで迎えてくれた。

私が妻に惹かれたのは、大柄で胸と腰の大きな身体であった。

結婚して、その身体を抱けることが何よりの楽しみで、若かったので、毎晩喜んで抱いていた。
だんだんと妻も性の喜びがわかってくると、声をあげるようになった。
私は、隣の部屋で寝ている義母に気兼ねして、口を押えたり、声を出さないように言ったが、こらえても、やはり自然に洩れるのである。
そのうちに、義母の態度がだんだんと、私と妻に辛くあたるようになってきた。

ある晩、義母が肩を揉んでくれと言ったので、揉んであげた。
強すぎると言うので、力を弱めて揉んでいると、気持ちがよいのか、だんだん体が重くなり、沈んでいった。
それにつられて、半立ちになった息子をそっと背中にあててしまった。
はっとしてすぐに離れ、「もういいでしょう」と言って立ち上がった。
義母は「ありがとう」と言って肩を2、3回動かした。

2、3日後にまた肩を揉んでくれと言われたので、揉んでいるとまた同じような状態になり、2、3度背中へ軽く接触し、堪らずに、思わず妻の見えない反対側の手で、義母の腹を触った。
義母は「ふぅー」ため息をついたようである。
これ以上続けることは危険であるので「もういいですね」と言って離れた。
その夜は妻の身体を激しく求めた。
よがり声が、いつもより大きくなってきたが、構わずに攻めた。

翌日の夕食後すぐに、また肩揉みを頼まれたので、妻が食器洗いをしているのをよいことに、今度は大胆になり、後ろから抱きつき、両手で腹から胸に触った。
義母は身悶えした。
翌日、妻のいない所で義母から叱られた。
「すみません。もうしませんから許して下さい」と謝り、セクハラ行為を恥じた。
次の日からは、心を冷静に保ち、なるべく離れて揉んだ。

数日後の日曜日の午後、妻が外出した時に、肩揉みを頼まれた。
邪心が起こらないように、離れて肩を揉んでいると、少し体をくねって媚態を示し、誘ってきたように見えたが、思い過ごしだと、心を鬼にして、揉み続けた。
すると今度は、背中が痛いので、背骨を押してくれと、うつ伏せになった。
上から両手の親指で背骨に沿って指圧した。
私の両股が義母の腰にあたり、リズミカルに触れるので、だんだん体が柔らかくなってきた。
私は、貴婦人を扱うように、そっと背中を撫でたり、横腹に触れたりしながら、指圧を繰り返したが、じっとして、気持ちよさそうにしていた。

次は足を揉んであげると言って、親指を優しく揉み、足の裏を軽く指圧して、ふくらはぎから、膝の上まで、ゆっくり優しく揉み上げて行った。
少し体をくねらせたので、添え寝する形で、後ろからそっと抱きかかえ、呼吸に合わせて、徐々に体を密着させて行った。
だんだん、二人の体は一つになり、溶け合って行くように感じた。
頬ずりをして、軽く頬にキスした。
体がとろけているのを感じたので、仰向けにして、上から優しく抱くと、「はぁー」と大きな息を吐きながら、抱きついてきた。
私は首に何度も優しくキスした。

それから、服のボタンをはずし、乳を求めた。
乳首を、舌を回しながら愛撫していると、「こっちもして!」と切なそうに言うので、反対側の乳に口づけした途端「うぅー」とうめいて、私の頭を強く抱きしめた。
乳がすむと、今度は腹を手で愛おしそうに撫でた。
それから、だんだん下へ下りて行った。
陰毛優しく掻上げながら、更に下へと行った。
秘部はたっぷり濡れていた。

中指で線に沿ってそっと愛撫すると、足を少し開き、腰が動き始めた。
息づかいがだんだん激しくなってきて「もう入れて」と哀願した。
ゆっくり挿入すると、「あぁー」と小さな声を出して、しがみついてきた。
私は、ゆっくり動かした。
しかし義母は、狂おしそうに激しく動き回った。
私もそれに応えて激しく突いた。
二人は、お互いに相手の体をむさぼりあった。
そして「あっ!」と小さな声をあげて逝った。
やがて、息を吹き返したので、再び動かし始めると、前よりも一層激しく求めてきて、そして果てた。
とうとう犯してしまった。

終って「すみません」と言うと、「いいよ。◯子には言わないから」と優しい声で言ってくれて、機嫌がよかった。
その後、妻のいない時を見はからってはつるんだ。
義母の態度は優しくなった。

間もなく、妻がお産で入院したので、気兼ねなく思いきりできた。
50近い年齢なので卒業したのだと思っていたが(当時、私は若かったので、そう認識していた)、中々盛んであった。
よく考えると、私が罠にはまったのだ。
しかし、義母は、休火山に火をつけたのが悪いと、私を非難した。

しかし、とうとう妻の知るところとなり、二人が責められた。
私は「出産で、辛抱できなかった」。
義母は「世間に知れると大変だから、こらえてくれ」と言聞かせた。
その後も、この関係は続いたが、妻は諦めたようで、外で浮気されるよりはましと考えたのか、それとも、世間体を気にしたのかも知れない。

義母は、美人で、頭がよく、勝気で、プライドが高く、見栄っ張りで、冷たい感じの人だった。
身体は中肉中背で、胸と腰は大きかった。
亡くなった主人とは正常位しかしたことがなく、淡白なものだったそうです。
最初のうちは、騎乗位やバックを、娘に見つかったら恥ずかしいと、ためらっていたが、一度すると、欲望には勝てず、特にバックを好んだ(仕上げは正常位)。
騎乗位も彼女の性格に合っていて、喜んでした。
さすがに大きな声は出さないが、息づかいと、腰の振り方は凄かった。

義母に、娘のよがり声が聞こえるかと聞いたら、「当り前でしょう」と答え、最初、淫乱ではないかと思ったが、分かるようになったと言った。
これも、私が悪いことにされた。
それで「いい婿をもらったね」と言うと、甘えた目で睨んで私の腕を抓った。

義母は、昼の顔と、夜の乱れ方の落差が大きいので、それからは、女性への見る目が変わり、貞淑そうな人を見ても疑うようになった。
しかし、他人に手を出すことはできないので、専ら自家で処理して満足した。
私は、外では品行方正で通っていたが、これでは、あまり人のことは言えない。

こちらは二人掛け持ちで身体が持たない。
そのことを義母に言うと、気を使って栄養のあるものを、私にだけ特別に食べさせてくれるようになり、酒も飲みたいだけ飲ませてくれた。
妻には不自由させられないので(義母は、私の要求を仕方なく受け入れている、という形をとっていたので)、義母の方を制限した。
その分、激しく求めて来た。
骨までしゃぶられるようで、思わずうめき声をあげ、引きずり込まれて行った。
非常に疲れたが、深い喜びを味わった。

私は、当初、義母が怖かったが、今では怖くないと妻に言うと「女はアレには弱いからね」と言って笑った(隠していても、娘は母の本心を知っていたのだ)。
これも、年とともに義母は衰え、そして亡くなった。
代わって妻が親に似てきて激しくなった。

それも今では回数も減り、だんだん終りに近づいているようです。